「デジタルデトックス」、できる気がしない
通信制限がきた。
今月は28日までしかないから、家にいない時は社用スマホからテザリングを飛ばして(最悪)何とか乗り切ろうと思うが、やはり不便である。
現代日本において、人は多かれ少なかれスマートフォンをはじめとする電子機器に依存している節がある。社不ちゃんはTwitterもするし動画も見るしゲームもするしなおさらであるが、これらのようなSNS等娯楽関連で利用していなくとも、生きているだけで通信機器を必要としてしまうという状況は往々にしてあると考えられる。
というか、日常生活のほとんどの事がこの手元の板1枚で完結してしまっている状況にあると思うのだ。
ある一日を考えてみよう。
朝目を覚ます。大音量で鳴り響くアラームはスマホから聞こえてくる。
身支度を整える。今日気温に合わせた服装をするためにスマホで天気を確認する。
外に出て歩く。スマホアプリで道順を確認し、スマホから音楽を聴きながら駅へ向かう。
電車に乗る。スマホをタッチしてモバイルPASMOで改札を通り、電車内ではスマホでTwitterや漫画アプリを見ている。
とまあここまででわかるように、大分というか深刻に依存がみられる。もう我々人間はこの板がないと何も出来ないのかもしれない。
これだけ我々にとって日々の生活に欠かせないものになっているのだから、国から定額で支給されてもいいのにな、とすら思う。そうすればスマホを持ってないことに起因する仲間はずれとかの類もなくなるのではないか。
最近は半導体不足やら諸々の価格高騰やらで、新型のiPhoneなんかはべらぼうに高い。一般的な家庭にもそこそこの痛手になる金額だし、社不ちゃんみたいな貧困層にはとてもじゃないけど買えない値段だ。
けど生きていくために必要だから、何とかお金を工面して少し前の型を購入し、大体2年でガタがくるものを4年も5年も使うしかないのである。悲しい。
世の中では「デジタルデトックス」とかいう大層な横文字が流行っているらしいが、金銭的事情により強制デジタルデトックスをしなければならない人たちも、そろそろ出てくるかもしれない。
もちろん、社不ちゃんもね。