まいにち社不ちゃん

ギリ社会人の社不なので毎日は書けないこともある

「ちゃんと」できないことがあまりにも怖い

ブログの更新をまたサボってしまった。ちゃんとした文章を書こうとする気持ちが先行してしまっていつまでたっても行動に移すことができない。

社不ちゃんは何に対してもこうで、「正しく」「ちゃんと」「間違いなく」あろうとしすぎるあまり何も思いきったことができず、周囲からの目線を極端に恐れ、結果目立たない人並みで平凡な人生を送ってしまうわりに、人とは違う何者かになりたくて仕方がない。

自分にまだ目覚めていない何らかの類まれなる才能があって、それが開花して周囲から認められ賞賛される、そんな日は来ないと頭では理解しながらもその来ない「いつか」を心のどこかで待ち侘びてしまう、それが社不ちゃんの生き様、社不ちゃんの人生、社不ちゃんのすべて。

こんなふうにわかった顔して理屈を捏ねて、自分で自分のこと理解できてますよアピールしちゃうところもものすごくかっこ悪いのに、自分のことをこうやって文章にして世の中に発信したくて仕方ない、認められたい、認められたい!!

つまるところはすべて承認欲求でしかないのだ。「ちゃんと」したいのも、人から嫌われたくないのも、人と違う何者かになりたいのも、全部が全部承認欲求の顕現なのである。人間がなにか行動する理由なんて大半がこれかもしれない。

マズローの欲求段階という説があった。生理的欲求⇒安全の欲求⇒社会的欲求⇒承認欲求⇒自己実現の欲求 の順で叶えたい欲求が出てくる、というような話。

社不ちゃんはとりあえず生きてるし安全な家もある、家族もいるしまがりなりにも会社に所属してるからここまで、社会的欲求までは叶えられているだろう。

となると、次が承認欲求だ。おそらく、世の中の多くの人が同じ状況なのではないだろうか?

まず生きていて、安全な環境があって、何らかの組織や集団や関係性と共に生活している。だから次の承認欲求を満たすために、己の地位や才能や容姿や財力を誇示し、世間に絶えず発信をし続ける。

人類総発信者時代とも言えるような世の中になっている、と高校受験の小論文試験に書いた気がする。確かテーマは「情報化社会について」だったのだが、今思えばそれは技術の発展のみならず社会全体の成長が起因しての事象だとも考えられないだろうか。社会の多くの人が「承認欲求」を叶えたいと望む次元に到達してきていて、そのツールとして各種SNS等の環境が整えられ、「人類総発信者時代」が訪れたのである。

とすれば次の段階は自己実現の欲求だ。奇しくも現代社会では「多様性」や「自分らしい生き方」の尊重が日々叫ばれている。承認欲求を満たした人々は、自分らしい在り方を模索し、ありのままの自分を実現しようとする。その結果が、「多様性の世の中」であり「SDGs」なのだろう。

 

社不ちゃん自身の話をしていたらいつの間にか社会の構造について話してしまっていた。恥ずかしい!

結局何が言いたかったかと言うと、ちゃんとできなくても人からよく思われなくても、なにか自分のやりたいことに対して行動を始められる人をすごく尊敬するし、そうなりたいなと思っている。

ので、明日からはちゃんと(内容が伴わなくても)毎日ブログ書きたいなと思う!頑張ります

 

では!